<東日本大震災>わずか2時間の我が家 川内村一時帰宅
未選択<東日本大震災>わずか2時間の我が家 川内村一時帰宅
東京電力福島第1原発事故で、立ち入りが規制されている警戒区域(原発から半径20キロ圏内)内の住民の一時帰宅が10日、福島県川内村で初めて実施された。54世帯92人が参加し、2時間の滞在時間中、事前に配布された70センチ四方のビニール袋に持ち帰る物を入れ、ペットや家畜の安否を確認するなどした。参加者の累積放射線量は1~10マイクロシーベルトで、終了後のスクリーニング検査で除染が必要な人や物はなかった。参加者のうち50~70代の女性3人が、中継基地の村民体育センターに戻ってから「気分が悪い」と訴えたが、その後回復した。一時帰宅の対象は福島県内の9市町村で、12日に葛尾村でも行われ、その後は準備の整った自治体から順次実施される。
◇娘の結納写真持ち帰る父
荒れ果てた田んぼのそばに咲く満開の山桜。その鮮やかさが痛々しい。
10日、警戒区域への住民の一時帰宅に同行した。
防護服を着用した住民を乗せたバスが中継基地を出発したのは午前11時20分ごろ。同行取材の報道陣が乗ったバスは、20分ほどあとに出発した第2陣のバスを追った。
約5分後、警察官が警戒する検問所を通過し、警戒区域に入った。つづら折りの山道を走ること約20分で、吉野田和地区に着いた。民家の雨戸は閉じられ、自動販売機の電気は消えている。田んぼはパサパサに乾き、畑には雑草が茂っていた。
この地区に住む小林信一さん(65)は、玄関先で配布されたビニール袋の中を整理していた。中には次女一枝さん(33)の結納の写真。一枝さんは3月26日、浪江町で結婚式を挙げる予定だったが、震災でできなくなった。婚姻届は出したが、2人は原発がある大熊町に住んでいたため、今は白河市の仮設にいる。
一枝さんのウエディングドレスや着物が楽しみだった。「原発がなきゃ、こんなことになんねかった。晴れ姿が見たかったなあ」と唇をかんだ。防護服を指さし、「こんな服は二度と着たくねえ」と怒りをあらわにした。
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35年間、畜産業を営んできた秋元哲雄さん(74)は、妻カツ子さん(73)と夫婦で一時帰宅した。
自宅の庭には自生するゼンマイ。この季節は、集落の至るところにウドやワラビ、タラの芽など山菜が顔を見せる。毎年、夫婦で山を歩き、山菜を採りながら、ふるさとの自然の豊かさを味わうのを楽しみにしていた。
秋元さんは繁殖用和牛10頭を飼育している。牛舎に残したままでは餌がなくなるため、警戒区域が設定される前々日、10頭を自宅裏の牧場に放し、外に出られるようゲートを開けてきた。
「防護服を着て行ったら、オレのこと宇宙人と思わねえかな」。避難生活を送る郡山市の施設で、秋元さんは冗談を言い、牛との再会を心待ちにしていた。しかし、約20日ぶりに訪れた牧場に牛の姿はなかった。
秋元さんは、自宅周辺を約1時間歩き、牛を探した。近くの道路には、牛のものとみられる足跡が点々と続き、道路脇の草を食べたあともあったが、見つけられなかった。
「胸をさすってやると、本当にうれしそうな目をするんだから。国や東電は殺処分とか補償とか言うけど、そう簡単にあきらめつかねえんだ。家族と同じなんだから」
野山に放たれた牛は、夏の間は草を食べたり、田んぼの水路の水を飲むなどして生きられる。しかし、草が枯れる秋以降、自力で生き延びるのは難しい。「寒くなる前に帰れれば、牛も続けられる。生まれ育ったこの場所に早く帰ってきてえなあ」【佐々木洋】
(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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